どうした韓国!? サッカー五輪代表の歴史的予選敗退はなぜ起きた 日本も油断できない共通の事情

 韓国U-23代表がパリ五輪本大会への道を絶たれた。

 カタールで行なわれているAFC U-23アジアカップ(兼パリ五輪男子サッカーアジア最終予選)の準々決勝インドネシア戦(4月25日)に敗れ、AFCに与えられた3もしくは4(※4位はプレーオフでギニアと対戦)の出場枠を得られないことになった。

「40年の苦労が詰まった塔を、倒したファン・ソンホンコリア」(OSEN)

「歴史的悲劇...東南アジアの国に負け40年ぶりの五輪に行けないなど誰が想像した?」(インターフットボール)

 国内のメディアの衝撃度は大きい。韓国はこれまで1988年ソウル五輪以降9大会連続での本大会出場を果たしてきたからだ。

 なぜそんなことになったのか。そして日本から見るべき点は何なのか。

【谷間の世代だったわけではない】

「当たり前」と思ってきた時代がついに終わった。日本も準々決勝カタール戦でヒヤリとさせられた点だ。

「五輪とワールドカップのアジア予選は勝ち抜ける」

 韓国は1988年のソウル五輪から2021年の東京五輪、1986年メキシコW杯から2022年カタールW杯までと、すべての五輪とW杯で本大会出場を果たしてきた。だから「40年の安泰期」が終わったことになる。「アジアの強国であり続けてきた」「たとえ予選で苦境に陥ってもなんだかんだで勝てる」という点は、韓国サッカー界の拠りどころのひとつでもある。これがポッキリとへし折られた。

 日本は1996年アトランタ五輪から連続出場だから、パリ五輪への出場が叶えば「28年がさらに続く」ということになる。しかし、いつか来るかもしれない「その時」。先に韓国が経験しただけに、このニュースの日本でのインパクトも大きい。

 ではなぜ、韓国は今回こういった事態に陥ったのか。

 特に今回の代表チームが「谷間の世代」だったり、「黄金世代だったのにまさかの敗退」というわけではない。

 過ぎ去った韓国の「40年間」。その後半には、選手育成の大革命があった。

 2008年からKリーグクラブのユースチーム保有を義務化。今回のU-23代表も多くの選手がクラブチーム育ちとなっている。「既存の名門チームをユースチーム化する」という過渡期の戦略から、現在は「高校のサッカー部を新設し、直接プロチームが運営する」という形態も増えた。

 各地域でのリーグ戦など複数の大会が行なわれており、毎年11月からは各地域の成績優秀チームを集め「キング・オブ・キング」を決めるトーナメントも開催される。直接的には認めないかもしれないが、そこには1990年代後半からの「日本の大成長」の影響もあった。

 いずれにせよ育成時代の強化に失敗してきているかというと、そうとも言いきれない。現に前回の東京五輪予選では、キム・ハクボム監督が率いたチームが全勝で予選突破を果たしている。

 この世代の欧州組も、日本より少ないが存在する。結局、今回招集された欧州組はデュッセルドルフⅡに所属するキム・ミンウのみだった。一方、現地メディアでは、セルティック所属のヤン・ヒョンジュンら7名の選手が「クラブからの招集拒否などで呼べなかった選手」として名を挙げている。

 ちなみに日本は今回エントリーに入った欧州組は5人で、そのほか11人程度が呼べなかった選手として挙げられている。

【ひとりの欧州組招集ドタキャンでチームが崩れた】

 では、そんな状態の韓国がなぜ、予選敗退の憂き目に遭ったのか。

 ファン・ソンホン監督は敗退後、27日に韓国に戻り、仁川空港での会見でこう口にした。

「我々がアジア圏で相手を完全に圧倒することは難しい」

 ちょっとした判断ミスが命取りになる。「ミスだ」とその時に気づかない点とて、あとで大きな敗因となりうる。なんだかんだでアジア最終予選はやり過ごせる。そんな時代はとっくに終わっているのだ。

 ファン・ソンホン監督は同日の会見で「責任はすべて監督である私にある」とし、敗退の理由をいくつか挙げた。そのうちのひとつがこの点だ。

「センターバック(CB)をやれる選手がいなかった」

 敗れたインドネシア戦では、本来ボランチの選手をDFラインの中央に据え、左はCBも可能なサイドバックの選手、右にのみ本職のCBを起用するという布陣を敷かざるを得なかった。

 たったひとりの欧州組の選手招集がうまくいかなかった点から、布陣が崩れていったのだ。

 ブレントフォード(プレミアリーグ)のCBキム・ジス。

 数人の選手は「リーグが佳境」といった理由で欧州の所属クラブが招集を拒否するなか、彼は「招集可能との返事を口頭でもらっていた」(27日の会見にてファン・ソンホン監督)。なぜなら所属クラブで定位置を掴めていなかったからだ。だからファン・ソンホン監督は、彼を軸としたCBの構成を考えていた。

 しかし、待てど暮らせど正式な返事が来ない。大会直前、カタールに入っても返事が来ない。結局は「ドタキャン」された。ブレントフォードは残留争いをしていて、大事を取ったクラブがキムを送ることを最終的に断ったのだった。

 この結果、CBは監督が信頼を置くソ・ミョングァン(富川FC)とピョン・ジュンス(光州FC)、そしてファン・ソンホン監督からの信頼度が低い2部リーガーのイ・ジェウォン(天安シティFC)の3人という異例の事態に。しかもソ・ミョングァンは大会2戦目の中国戦でハムストリングスを負傷し、全治8週間の診断を受けた。

 ファン・ソンホン監督は、報道陣から「なぜエントリーに最初から多めにCBを入れなかったのか」という質問にこう言いきった。「国内には(国際大会でCBをやれる)選手がいない」。

「主力たる欧州組の招集が流動的」→「それが致命傷になりうる」→「二の手、三の手の準備までが重要」。あらためて言うまでもないことだが、この世代の代表チームの恐ろしさとして知っておくべき点だ。

 現に日本も、2016年リオデジャネイロ五輪の際に、A代表招集経験も有しチームの主力だったFW久保裕也が直前に当時所属していたスイスのクラブの招集拒否に遭い、そこからチームを立て直せなかった事例もある。

 そのほか、ファン・ソンホン監督は自身が経験したチーム作りの難しさとして、「アジア大会と五輪、4年間のうちに2度結果を強く求められる構造」を挙げた。計画的に強化できない。だからCBも育てられなかった。この点は兵役免除も関わってくる問題で、韓国ならでは難しさだと言える。

【インドネシアはアジアの急速レベルアップの一例】

 ひとつの間違いが致命傷につながり、アジアの国々にひと泡吹かされる。これは逆に言えば、アジアのレベルが上がっている証拠でもある。

 奇しくもこれを証明しているのが、「韓国を下した国の韓国人監督」だ。

 今回のインドネシア代表を率いたのは、2018年のロシアW杯当時の韓国を率いたシン・テヨン監督だった。シン・テヨン監督は2019年末からインドネシアA代表監督に就任。現在はU-20代表以上の指揮を任される。

 就任当初は、インドネシア代表クラスの選手についてこう嘆いていたという。

「20分しか体力が持たない。20分はいい技術を発揮するがそれ以上はダメ」

 それが5年経った今、AFC U-23アジアカップで韓国を下しベスト4進出。五輪出場権への「最終コーナー」にまでたどり着いた。

 もちろんシン・テヨン監督が現地で評価される、「選手へのリスペクトとリーダーシップの絶妙な使い分け」という手腕は、非常に大きいものだ。本人に幾度かインタビューしたことがあるが、その語り口にはハキハキと最小限の言葉でスパッと相手に伝えるうまさがある。

 一方、当初のインドネシアの選手たちは「体系的なコア運動やウエイトトレーニングを受けたことがない」状況だったという。そんな選手たちが、昨今のトレーニング手法や戦術の情報伝達のスピード化もあって変化していける。あらためてアジア全体のレベルアップを感じさせる大会となっている。

 日本は4月29日にイラクと対戦する。勝てば五輪出場権獲得だが、敗れればこのインドネシアもしくはウズベキスタンと出場権を争う3位決定戦に回る。国名を聞いて「ラクだな」とは決して思ってはならない。そんな時代になっているのだ。

2024-04-29T01:48:27Z dg43tfdfdgfd